『氷菓』米澤穂信著

昨日買えなかった、『氷菓』を無事査収。角川が再版したこのタイミングを逃すと店頭から消えて、面倒臭いことになるので、気になる人は確保しておくことをオススメします…って自分ごときが言わんでも、読むべき人はもうとっくに読んでいますよね…。

通勤中に、ちょびっとだけ『さよなら妖精』を鑑賞。ユーゴスラヴィアですか。タイトルからして、冒頭のフリから言って、悲劇的な結末しか予想できないのですが。この人の特徴である?抑えた筆致、嫌味にならない程度の軽妙なミステリが遺憾なく発揮されていて、ミステリー仕立ての青春小説なのか、青春小説風味のミステリなのか、はたまたラノベチックでもあり、まさに「軽妙」さが身上な作家さんである、といまのところは結論付けているのですが…。

僕はこんな本を読んできた

何やら恥ずかしいタイトルですが、上記『氷菓』を買った本屋にて、各出版社さんの目録(と言っても文庫百選のたぐい)を配布していたので貰ってきただけなんですが、どうしてこの手の出版社は夏になると思い出したかのようにフェアをやりますか。まぁそれはどうでもいいですが、つーわけで気になった本とか、読みたいなぁと思っている本(と思いつつ読まない)とか、てきとーに語ります。

じゃまずは角川文庫から。

宮崎あおい、可愛ええなぁーじゃなくて、って目録みただけじゃ宮崎あおい起用していること自体気がつかなかったよ!集英社文庫のナツイチなんかはさながら佐藤隆太大特集なのと好対照だ。どっちが良いかは明白だが。HP見て気づくようじゃまだまだです(だから何が)。

文庫落ちしているのは、Ⅲまで。大槻さんに薦められて読んだようなもの。『おおきく振りかぶって』とかで、野球に目覚めた人とかに是非薦めたい。ミハシと違ってこっちのピッチャーは超強気だけど。ところで、大槻さんって誰?という突っ込みは却下の方向で。

  • 『失踪HOLIDAY』乙一

乙一の作品は実はまだ読んだことがない。これはちょっと表紙が気になったのはないしょですが、なんか最先端ですよ、カッコイイんですよ、オーラが出過ぎていて(出版社サイドのプロモーションの方法が、という意)、敬遠してしまっている作家。ペンネームもふざけ過ぎていて、こういうのはあまり好きになれない。

NHKの人。ある意味ヒッキーの星か?未読。

古典部シリーズ。粗筋だけみると我孫子の『探偵映画』チック?なメタミステリっぽいのかな。買ったばっかで、これから読むんで、テキトーな想像です。

なんか最近本屋でよく平積みになっているのを見掛けます。表紙が表紙だけにとても目立ちます。別にこの作品のことを揶揄しているわけではないのですが、萌え単以来、こういうコンセプトの作品が増えているような気がします。未読。

なんつーか、灰汁が強い作家さん(かなりオブラート包んでます)。『夜啼きの森』と並んでこの人の出世作なんかな。公式WEBとか見ると、さもありなん、という感じです。特に「将軍様の相談部屋」(BBSです)の投げ出しっぷりは凄い!一回で良いから見とけ!という感じです。北方謙三大先生の名台詞「ソープに行け!」をどうしても思い出してしまうのですが。まぁネタとしてどうぞ。嘘を嘘と以下略とも言いますし…。未読。

戦国自衛隊』キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!角川キターじゃなくて、映画しか見てないです、しかも初代のほうです。最近リメイクしたやつの評判はどうなんでしょ。未読。

売れてる作家さんですね。なんか自分ととかから見ると、ハンッという感じなんですが(ただのルサンチマンですね)。はいはい、イタリアね、フィレンツェね。おまけに辻の嫁さんは中山美穂でしたっけ(関係無い)。(映画の)CMばっかりが印象に残っています。エンヤのなんという曲だったでしょうか、あれです。未読。

自分の中では『家畜人ヤプー』と並んで奇書ランキング堂々の第一位を占める作品です(もちろん、『ドグラ・マグラ』がダントツトップで次点が、ヤプー)。煽り文句は、日本推理小説に燦然と輝く金字塔!とか最大の奇書とか色々言われていますが、今となってはちゃかぽこちゃかぽこしか覚えていません(笑)。森博嗣は犯人分かったとか書いてますけど…、ほんとかいな。青空文庫久作の作品はかなり読めますので、『冗談に殺す』とか『死後の恋』、『狂人は笑う』あたりで耐性を付けてから読まれた方がよろしいかと。『悪魔祈祷書』とか『いなか、の、じけん』なんかも面白かったですね。『瓶詰地獄』とか『少女地獄』なんかはあんまり面白くなかったけど、タイトルだけで、読みたくなりませんか。
ま、あれですよ。「本書を書くために生きてきた」と作家をして言わしめた一大奇書であることは間違い無いです。ベクトルの方向はともかくとして、大きさは凄いのひとこと。

そうしてそこで美しい一対(いっつい)の男女(なんにょ)を見た。彼らは睦(むつ)まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙(そば)だてている人が沢山あった。
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
「仲が好(よ)さそうですね」と私が答えた。
 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外(ほか)に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。
「君は恋をした事がありますか」
 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
 私は答えなかった。
「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評(ひやか)しましたね。あの冷評(ひやかし)のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交(まじ)っていましょう」
「そんな風(ふう)に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解(わか)っていますか」
 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。


「また悪い事をいった。焦慮(じら)せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止(や)めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
 私には先生の話がますます解(わか)らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。



「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪(のろ)うより外(ほか)に仕方がないのです」
「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖(こわ)くなったんです」


無駄なものが一切無い、練りに練った作品。

僕はこんな本を読んでこなかった

相田みつを御大キター。というわけで、読んだことはないですが、2chとか見てるといやでも覚えてしまうと言いますか。メジャー過ぎてもはやテンプレ化しているんであえて読もうという気はおきないと言いますか、いまさら買うのは恥ずかしいと言いますか、フルーツバスケットを買うのとはまた別種の恥ずかしさでございます。

  • 『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修二

あまりにも有名なタイトル過ぎて逆に読んだことのない人の方が多そうっていうか最近の若者(死語)が寺山修二を読んでいるのでしょうか、いや私は読んでませんって、私は最近の若者を名乗るには年をくい過ぎていますし、代表する資格もないので、全然参考になりませんね。わたくし的想像だと35-45くらいのオヤジ(不良中年限定)が愛読してたりしそうだなぁという想像なんですがー。

先生と生徒というのは特殊な関係です。師弟関係と言っても、大学の研修室のような濃密な関係から、いわゆる戦後の義務教育における学校制度に代表されるような小学校・中学校のような人によって受け取り方が異なるような、その他大勢の中のひとりといったような関係まで様々であると思いますし。読み手が置かれた環境によって、当然のことながら受け取り方が大きく異なるように思います。元来、小説というメディアは受け手に大きく依存したメディアであるように思います。殊に学校のような、大多数の人が経験したであろう共通体験を題材にするとき色濃く出るものだと思うのです。

共通体験というのは、自分で書いててなんですが、言いえて妙だなぁと思いまして、言い尽くされてきたことですが、戦前の日本社会では軍隊経験が成人男子の、共通体験の最たるものでしたが、いまやそのような共通体験はもはや存在しないと言っても良いのではないのでしょうか。しかし、そうした共通経験というものは実は近代になって国民国家が成立する過程で、国家的要請として、意図的に「作られた」ものではにないのでしょうか。学校然り、軍隊経験然りです。

まぁそれはさておきまして、二十四の瞳ですが、さんざんドラマ化されたり映画になっていたりするので、これもちゃんと通読はしておりません。教育実習とかをさせて貰った経験から言わせて貰えば、どんな仕事もそうでしょうが、殊に情熱がないと務まらない職業であるように思います(小中学校の先生を想定)。今でこそ教師というとある種のいかがわしさというか、そういう印象があるかと思いますが、「でもしか先生」ではなく、師範学校というものがあり、教師というだけで尊敬され権威があった頃の神話時代のハナシとやや辛辣に言うことも出来ましょうが、扱っているテーマが普遍的であるがゆえに、古典として読み継がれているのでしょう(キレイに纏めてみました)。

キューバ革命の英雄です。一種のカリスマと言いますか、根強い人気がありますね。もちろん未読なんですが(脳内)国際共産趣味者同盟に加盟している本サイトとしては、ゲバラとくれば反応しないわけにはいかないキーワードでしたので、とりあえず言及だけしておきます、みたいな。

元祖SFの祖であるヴェルヌである以上、これもスルーは許されない作品でしょう。ポプラ社かなんかで出ているような小学生向けのヤツを読んだだけですので、厳密に言えば、到底読んだとはおこがましくて口に出せないわけでして。ハマコンの主催がサイトトップに置いていて、「ヴェルヌの見た夢」というのが今回に日本SF大会のテーマだったそうですが、自分の世代が体験したSFな出来事と言えば、まずはインターネットの出現、2番目が携帯電話の普及率、そして、ファミコンからプレステ2へというゲーム機の発展でしょうか。どれもこれもいわゆる情報エレクトロニクスの発展によるものですが、小学○年生とかの近未来都市想像図にあるようなイメージには程遠い21世紀ですが、タイムマシンは無理でもなんとか死ぬまでには宇宙に行きたいなーと淡い希望を抱いているのですが、それだったら、地球外生命体が発見される方が確率の方がまだ高いかなーなどとも思いますが、月面都市とか火星テラフォーミングは夢のまた夢でしょうか。
ネトゲー廃人とかを見るにつけ、そういう重厚長大型SF(勝手に命名)よりは、『ヴィーナス・シティ』のような路線とか『夏への扉』の文化女中器、護民官ピートのような、露骨に言えば『ヴァーチャル・ガール』に代表されるようなメイドロボの方が、欲望に忠実である分だけ、言い換えれば分かり易過ぎるくらい動機が明確であるので、かえって実現したりしないでしょうかねーなどとも思ったりするのですが。



続いてナツイチです。

『恥の多い生涯を送ってきました』で始まる有名な作品ですが、スウプをひとさじ吸ってお母さまが「あ」という声をあげる作品というぐらいの知識しかありません。破滅型作家、太宰の真骨頂たる本作ですがもちろん未読です。

ジョバンニとカムパネルラ。岩手が生んだ、不遇の大作家です。ちなみに岩手県のお役人さまの名刺を貰ったら、「銀河系岩手」というお遊び版名刺を貰いました。参考公式HP。

それはともかく。わたしが『銀河鉄道の夜』で思い出すと言えば、桑島法子が某ラジオでやった朗読でしょうか。今から思えば、完全に趣味に走っていましたね(笑)。最近ですと、『半分の月が昇る空』(橋本紡)で、文学少女なヒロイン(そうか?)の愛読書ということで、そこそこ重要な小道具として、使われたことが印象に残っています。当然未読。

このフレーズは良く聞きますが、これが元ネタということでOKでしょうか。不肖宮嶋さんの著書に『空爆されたらサヨウナラ』は戦争写真家として生き26 才で死んだ一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』を下敷きにしていることは言うまでもないですし。大槻ケンジとかが好きそうなフレーズだな。グミチョコパインで普通に出てきそう。未読。

  • 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』江國香織

タイトルが面白いな、という作品。濡れた猫を暖めるのに、電子レンジは安全でも適切でもありません、大人しく、乾いたタオルで拭いてあげましょう、というハナシ(大嘘)。えーと、電子レンジ猫チン裁判は都市伝説ということでOKですよね?しつこいようですが未読です。


謎をかけるのは私たち自身の脳
謎に答えようとするのも私たち自身の脳
どこまでも問い続け
いつまでも答えは無い

えーと、たぶん、これは収録されていませんので、注意。むかーし、驚異の小宇宙人体 脳と心という番組があってな、というわけで、番組中に引用されて、樹木希林が朗読した詩の一節。これに、久石譲の流麗な音楽が乗るわけですから、心を揺さぶること請け合いです。放映当時はお金がなかったのですが、自由なお金が出来た頃に、ちゃんとサントラを確保しましたー。オススメ。

ググったら見つかったので、引用しておきます。
魂の迷宮に踏み込むことは危険なので、火遊びはほどほどにしませう。「螺旋の迷宮、汝の名は脳あるいは別名、こころ」と言ったところでしょうか(カッコつけてみました)。



この卵型の 骨の器にしまってあるものはなに?

傷つきやすく狂いやすい ひとつの機械

私たちは おそるおそる分解する


その美しいほほえみの奥にあるものはなに?

見えるものと見えないものが絡み合う 魂の迷路?

私たちは おずおずと踏み込む


謎をかけるのは私たち自身の脳

謎に答えようとするのも私たち自身の脳

どこまでも問い続け

いつまでも 答えはない・・・。


「脳と心」 詩/ 谷川俊太郎

  • 『ものいふ髑髏』夢枕 獏

夢枕獏と言えば、多作で活動ジャンルが広い作家ですが、世間一般的には『陰陽師』シリーズでしょうか。自分的には、『上弦の月を喰べる獅子』上下なのですが、これはむしろマイナーな部類に入るでしょう。あとはやっぱり『猫弾きのオルオラネ』でしょうか(ただ単にいわゆる伝奇モノを読んでないので・・・)。これは猫SF的には外せない作品でしょう?
繰り返しますが、未読です。表紙、ストーリーともに惹かれるものがあるので、機会があれば是非読んでみたい作品ですね。

僕はこんな本を(以下略)

新潮文庫編デス。

「美しい日本の私」。言うまでもなく、これは文豪川端康成が、日本人として初のノーベル文学賞を授与され、ノルウェーストックホルムでの授賞式にて、紋つき袴という日本的、余りに日本的な正装で出席した際の記念講演のスピーチのタイトルである。むろん、わたしは極めて格調高い日本語で行われ世界に向けて高らかに日本の美を宣言した、この歴史的スピーチである「美しい日本の私」も、『雪国』も読んだことはない。けれども、雪国と聞いてまず思い浮かべたのが、この「美しい日本の私」という述語であった。雪国は、映像作家にとっても魅力的なモチーフであったらしく繰り返し繰り返し、映像化されている。だから、多くの人は、冒頭の「駅長さあん、駅長さあん」ぐらいは知っているし、「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」という一文は、日本人なら知らいでか、というぐらい有名な一文である。私の田舎は、裏日本の豪雪地帯にあるので、帰省するときは必ず上越新幹線であり(あまりクルマを運転する人ではないで)、この言葉は実感として理解できる。両親などに言わせると、新幹線がなくて特急だった頃は、上野に行くまで何時間もかかった云々という昔話を耳にタコが出来るぐらい聞かされたもので、それ故に角栄さんはロッキードで捕まろうがなんだろうが郷土の大恩人であり、その人気は今でも凄いものだし、越後交通を始めとして隠然たる力を今なお持ち得ている。

少し話がそれました。

わたしは、厳密にというかあからさまに雪国育ちではありませんので、所詮は「お客さん」としての視点でしか語れないのかもしれませんが、都会に比して、雪国での生活とは耐えざる雪との果てしのない闘争であります。中越地震震源地に程近い、山古志村の家屋が住む人もないために、雪下ろしがままならず、ついには雪の重みで倒壊してしまったというニュースをご記憶の方もおられるかと思いますが、ことほどさように、雪国にとって雪とは難敵なのであります。今でこそ暖冬の影響で、相当の山間部でもなければひとシーズンに何回もということは少なくなったと聞き及びますが、それでも家屋の周囲の除雪作業はしなくてはいけませんし、あれほどキツイ作業もありません。お陰で田舎の冬は水だらけです。水を絶えず流して、溶かす。いわゆる一つの消雪パイプですが、公共の道路だけでなく、私設であったりとか町会が中心になって整備したのやらが入り組んでいましてって関係ないのでこのへんにしておきます。

雪国の風景は、時折訪ねるぶんにはたいへん美しいものですが、そこに暮らすということは中々にたいへんでなことであると言いたかったのです。汽車の窓辺から見える景色と、その落差について我々は忘れてはなりません。

未読です。

これも、正確には児童向けの書籍でしか、しかも蜘蛛の糸しか読んでいません。芥川と聞いて私が連想するのは、冷徹な知性です。もちろん、それには彼が遂には自殺してしまったという経緯が大きく影響しているのでしょうが、『或旧友へ送る手記』など読むと一層その思いを強くします。版権が切れているので、やや長いですが青空文庫から引用したいと思います。「ぼんやりした不安」という当時の芥川が感じた時代の空気を文学者というフィルターで表現されており、自殺論を論じる上でも繰り返し引用されるであろう基本的な文献ですから読んでおくのも、悪くはないでしょう。全文が読みたい方は青空文庫へどうぞ。




 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤(もつと)も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善(い)い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎(とが)めない。


五千円札です。ま、それはともかくとして、これも未読です。しかし。たけくらべの筋は知っています。だって、ガラスの仮面で、北島マヤと姫川あゆみが演じたから(笑)。以上。

1925年1月、同人誌『青空』の創刊号に発表。現在では梶井基次郎の代表作ではあるが、当時は、ただ静かに一同人誌に発表されただけであった。(青空文庫の紹介文より引用)

思いっきり要約すると丸善檸檬を置いてくるという、ただそれだけのハナシです。これに近いのかどうか私は知りませんが、本屋に行って、お気にな作品を平台にさりなげなく載せて、アピール、などという店員迷惑な行為でしょうか。

9.11以降の世界、地下鉄サリン以降の世界では、なんでもかんでも不審物、不審物扱いですから、檸檬丸の内オアゾ丸善本店に置いて来たら、タイーホされるかもしれません。にしても、この作品が発表されてから、丸善には一体何個の檸檬やら蜜柑やらが置かれてきたのでしょうね。絶対やった香具師いるだろいう感じです。書店員さんがもし見られていたら、うちの本屋にはこんなものを置かれますた!みたいな報告をよろ、ということで締めます。
テロリストの皆さんにおかれましては、檸檬型高性能小型爆弾(wをつくるくらい洒落が分かっていればよいんでしょうが、あまりに殺伐としているので、戯言はこのぐらいにしておきます。

死体洗いのバイト都市伝説を広める契機とも言われている本作です。秋山瑞人の『イリアの空、UFOの夏』でも何巻だか忘れましたけど、死体を洗うっていう短編がありましたねってそれが書きたかっただけ。未読です。

ようやく既読が出て来ました。

司馬サンは、老後の楽しみにとっておきます。面白いに決まっているんだけどなー。

これも既読ですーって短い話だしな。 


ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。

もうこの粗筋紹介だけで十分ですね。

これは読みたい!と思わせるような、前ふりです。少年漂流物語と見せかけてバトルロワイヤルという風なハナシなんでしょうか・・・(想像)。何気にノーベル文学賞受賞作家ですな。

既読でーすって、ドストエフスキーで読んだのこれだけだよ!ムイシュキン公爵くらい読んでおこうぜ、とアニメのノワールにも言われてしまいました(作中に登場する猫の名前が「ムイシュキン公爵」(『白痴』の登場人物))。
ま、それはともかくとして、ソーニャ萌えですよ。聖母でありながら娼婦って男の理想ですか。

これもガラ仮面で(以下略)。未読。

ちゃんと読みましたよ。特に語るべきことを思いつきません。死ねば終わるとは思わぬ、とあえてガラスの仮面ちっくに攻めてみる(元ネタ「死ねば恋が終わるとは思わぬ」紅天女)。

既読が続きますね。今でいう綿矢りさみたいなもんです。蹴りたい背中は読んでません。振られた腹いせに、ライダーキックでもお見舞いするのでしょうか。女子が男子にやる分には笑って許されそうですけど、逆はストーカー扱いやらドメスティック・バイオレンス扱いとかされそうで社会から抹殺されそうな予感。

ライ麦で有名なサリンジャーの短編集です。本作は、一頃、被れていた森博嗣が絶賛していたんで、手にとって読んだ記憶がありますが、「バナナフィッシュにうってつけの日」とか、もうどんなハナシだったかも忘れてしまいました。

アメリカの泣かせる作家と言えば、キングをおいて他にありません。これも映画では二度か三度か見たのですが、原作は読んでませんし・・・。このパターンはグリーンマイルとかもそうですね。ネタバレですけど、アウターゾーンで(最近文庫でまた出版してましたね)、交通事故で目が見えなくなった大富豪の少年が、ミザリィに目を治して貰う、ただし、直してもらった目は、心の醜い人間の姿かたちは化け物のごとく、反対にキレイな心の持ち主は・・・という治療でして、黒人の彼にとってはこういうことだったのでしょうか。

星の王子さまは名作なんでしょうが、好きな本『星の王子さま』とか書いてあるくせに、全然分かってないヤツを見たりすると猛烈に腹が立ちませんか。いや、自分はどちらも未読なんで、もっと分かっていませんが。

  • 『海ちゃん―ある猫の物語― 』岩合光昭、岩合日出子

猫写真集です。ごく最近読みました。まぁ可愛い猫ですが、幾ら田舎とはいえ10匹以上飼うというのは、信じられませんっていうか、にゃーにゃーうるせーだろうなーと思います。

ボンクラバックパッカーのバイブル(敵をつくるよーな物言い)。グレートジャーニーですか。そういやテレビ番組でタクシーで世界一周したら、料金幾らになるのん?という企画があって放映されていたなー(アホ企画)。

歴史好きなら一冊くらいは読んでないとモグリと読んでも差し支えないのではないでしょうかっていうぐらい、彼女の著作は幅広い支持を受けていますね。殊にこのシリーズは、ライフワークというか、一年一作くらいのペースで刊行しているのでしょうか。どれを読んでどれを読んでいないかを忘れてしまいました。
完結したら、ゆっくり読もうかなーという感じですが、どこで終わらすんでしょうね。西ローマ滅亡とかカール大帝による復活、あるいは東ローマ帝国の永遠の都、コンスタンティノープル陥落、もっとしつこくやれば、神聖ローマ帝国とそれを引き継いだオーストリアハプスブルク帝国ギリシャ正教を報じるツァーリロシア帝国が、遂に革命政府によって倒れた1917年まで引っ張るのかにゃーってぶっちゃけあり得ない(なぜプリキュア・・・)妥当に考えれば、コンスタンティノープルイスタンブールと呼ばれるようになるまででしょう。。

カッコいいタイトルですが、本書は告発書でもあります。アスベストなんかは他人事ではありません。未読。