僕はこんな本を(以下略)

新潮文庫編デス。

「美しい日本の私」。言うまでもなく、これは文豪川端康成が、日本人として初のノーベル文学賞を授与され、ノルウェーストックホルムでの授賞式にて、紋つき袴という日本的、余りに日本的な正装で出席した際の記念講演のスピーチのタイトルである。むろん、わたしは極めて格調高い日本語で行われ世界に向けて高らかに日本の美を宣言した、この歴史的スピーチである「美しい日本の私」も、『雪国』も読んだことはない。けれども、雪国と聞いてまず思い浮かべたのが、この「美しい日本の私」という述語であった。雪国は、映像作家にとっても魅力的なモチーフであったらしく繰り返し繰り返し、映像化されている。だから、多くの人は、冒頭の「駅長さあん、駅長さあん」ぐらいは知っているし、「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」という一文は、日本人なら知らいでか、というぐらい有名な一文である。私の田舎は、裏日本の豪雪地帯にあるので、帰省するときは必ず上越新幹線であり(あまりクルマを運転する人ではないで)、この言葉は実感として理解できる。両親などに言わせると、新幹線がなくて特急だった頃は、上野に行くまで何時間もかかった云々という昔話を耳にタコが出来るぐらい聞かされたもので、それ故に角栄さんはロッキードで捕まろうがなんだろうが郷土の大恩人であり、その人気は今でも凄いものだし、越後交通を始めとして隠然たる力を今なお持ち得ている。

少し話がそれました。

わたしは、厳密にというかあからさまに雪国育ちではありませんので、所詮は「お客さん」としての視点でしか語れないのかもしれませんが、都会に比して、雪国での生活とは耐えざる雪との果てしのない闘争であります。中越地震震源地に程近い、山古志村の家屋が住む人もないために、雪下ろしがままならず、ついには雪の重みで倒壊してしまったというニュースをご記憶の方もおられるかと思いますが、ことほどさように、雪国にとって雪とは難敵なのであります。今でこそ暖冬の影響で、相当の山間部でもなければひとシーズンに何回もということは少なくなったと聞き及びますが、それでも家屋の周囲の除雪作業はしなくてはいけませんし、あれほどキツイ作業もありません。お陰で田舎の冬は水だらけです。水を絶えず流して、溶かす。いわゆる一つの消雪パイプですが、公共の道路だけでなく、私設であったりとか町会が中心になって整備したのやらが入り組んでいましてって関係ないのでこのへんにしておきます。

雪国の風景は、時折訪ねるぶんにはたいへん美しいものですが、そこに暮らすということは中々にたいへんでなことであると言いたかったのです。汽車の窓辺から見える景色と、その落差について我々は忘れてはなりません。

未読です。

これも、正確には児童向けの書籍でしか、しかも蜘蛛の糸しか読んでいません。芥川と聞いて私が連想するのは、冷徹な知性です。もちろん、それには彼が遂には自殺してしまったという経緯が大きく影響しているのでしょうが、『或旧友へ送る手記』など読むと一層その思いを強くします。版権が切れているので、やや長いですが青空文庫から引用したいと思います。「ぼんやりした不安」という当時の芥川が感じた時代の空気を文学者というフィルターで表現されており、自殺論を論じる上でも繰り返し引用されるであろう基本的な文献ですから読んでおくのも、悪くはないでしょう。全文が読みたい方は青空文庫へどうぞ。




 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤(もつと)も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善(い)い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎(とが)めない。


五千円札です。ま、それはともかくとして、これも未読です。しかし。たけくらべの筋は知っています。だって、ガラスの仮面で、北島マヤと姫川あゆみが演じたから(笑)。以上。

1925年1月、同人誌『青空』の創刊号に発表。現在では梶井基次郎の代表作ではあるが、当時は、ただ静かに一同人誌に発表されただけであった。(青空文庫の紹介文より引用)

思いっきり要約すると丸善檸檬を置いてくるという、ただそれだけのハナシです。これに近いのかどうか私は知りませんが、本屋に行って、お気にな作品を平台にさりなげなく載せて、アピール、などという店員迷惑な行為でしょうか。

9.11以降の世界、地下鉄サリン以降の世界では、なんでもかんでも不審物、不審物扱いですから、檸檬丸の内オアゾ丸善本店に置いて来たら、タイーホされるかもしれません。にしても、この作品が発表されてから、丸善には一体何個の檸檬やら蜜柑やらが置かれてきたのでしょうね。絶対やった香具師いるだろいう感じです。書店員さんがもし見られていたら、うちの本屋にはこんなものを置かれますた!みたいな報告をよろ、ということで締めます。
テロリストの皆さんにおかれましては、檸檬型高性能小型爆弾(wをつくるくらい洒落が分かっていればよいんでしょうが、あまりに殺伐としているので、戯言はこのぐらいにしておきます。

死体洗いのバイト都市伝説を広める契機とも言われている本作です。秋山瑞人の『イリアの空、UFOの夏』でも何巻だか忘れましたけど、死体を洗うっていう短編がありましたねってそれが書きたかっただけ。未読です。

ようやく既読が出て来ました。

司馬サンは、老後の楽しみにとっておきます。面白いに決まっているんだけどなー。

これも既読ですーって短い話だしな。 


ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。

もうこの粗筋紹介だけで十分ですね。

これは読みたい!と思わせるような、前ふりです。少年漂流物語と見せかけてバトルロワイヤルという風なハナシなんでしょうか・・・(想像)。何気にノーベル文学賞受賞作家ですな。

既読でーすって、ドストエフスキーで読んだのこれだけだよ!ムイシュキン公爵くらい読んでおこうぜ、とアニメのノワールにも言われてしまいました(作中に登場する猫の名前が「ムイシュキン公爵」(『白痴』の登場人物))。
ま、それはともかくとして、ソーニャ萌えですよ。聖母でありながら娼婦って男の理想ですか。

これもガラ仮面で(以下略)。未読。

ちゃんと読みましたよ。特に語るべきことを思いつきません。死ねば終わるとは思わぬ、とあえてガラスの仮面ちっくに攻めてみる(元ネタ「死ねば恋が終わるとは思わぬ」紅天女)。

既読が続きますね。今でいう綿矢りさみたいなもんです。蹴りたい背中は読んでません。振られた腹いせに、ライダーキックでもお見舞いするのでしょうか。女子が男子にやる分には笑って許されそうですけど、逆はストーカー扱いやらドメスティック・バイオレンス扱いとかされそうで社会から抹殺されそうな予感。

ライ麦で有名なサリンジャーの短編集です。本作は、一頃、被れていた森博嗣が絶賛していたんで、手にとって読んだ記憶がありますが、「バナナフィッシュにうってつけの日」とか、もうどんなハナシだったかも忘れてしまいました。

アメリカの泣かせる作家と言えば、キングをおいて他にありません。これも映画では二度か三度か見たのですが、原作は読んでませんし・・・。このパターンはグリーンマイルとかもそうですね。ネタバレですけど、アウターゾーンで(最近文庫でまた出版してましたね)、交通事故で目が見えなくなった大富豪の少年が、ミザリィに目を治して貰う、ただし、直してもらった目は、心の醜い人間の姿かたちは化け物のごとく、反対にキレイな心の持ち主は・・・という治療でして、黒人の彼にとってはこういうことだったのでしょうか。

星の王子さまは名作なんでしょうが、好きな本『星の王子さま』とか書いてあるくせに、全然分かってないヤツを見たりすると猛烈に腹が立ちませんか。いや、自分はどちらも未読なんで、もっと分かっていませんが。

  • 『海ちゃん―ある猫の物語― 』岩合光昭、岩合日出子

猫写真集です。ごく最近読みました。まぁ可愛い猫ですが、幾ら田舎とはいえ10匹以上飼うというのは、信じられませんっていうか、にゃーにゃーうるせーだろうなーと思います。

ボンクラバックパッカーのバイブル(敵をつくるよーな物言い)。グレートジャーニーですか。そういやテレビ番組でタクシーで世界一周したら、料金幾らになるのん?という企画があって放映されていたなー(アホ企画)。

歴史好きなら一冊くらいは読んでないとモグリと読んでも差し支えないのではないでしょうかっていうぐらい、彼女の著作は幅広い支持を受けていますね。殊にこのシリーズは、ライフワークというか、一年一作くらいのペースで刊行しているのでしょうか。どれを読んでどれを読んでいないかを忘れてしまいました。
完結したら、ゆっくり読もうかなーという感じですが、どこで終わらすんでしょうね。西ローマ滅亡とかカール大帝による復活、あるいは東ローマ帝国の永遠の都、コンスタンティノープル陥落、もっとしつこくやれば、神聖ローマ帝国とそれを引き継いだオーストリアハプスブルク帝国ギリシャ正教を報じるツァーリロシア帝国が、遂に革命政府によって倒れた1917年まで引っ張るのかにゃーってぶっちゃけあり得ない(なぜプリキュア・・・)妥当に考えれば、コンスタンティノープルイスタンブールと呼ばれるようになるまででしょう。。

カッコいいタイトルですが、本書は告発書でもあります。アスベストなんかは他人事ではありません。未読。