想いを受け止めるということ

ティアから戻ってきて、部屋の本を整理しました。
で、改めてたくさんの本を買ってるなーと思いまして。



即売会に行って本を買うと、それを描いた人が「向こう」にいるという当たり前の事実に気付かされます。何日も机に向かって、ひらすら描いた人がいるわけです、当たり前ですが。



だから、即売会行ったあとというのは、しがない買い専風情ですら、中てられて、くらくらするのです。商業誌はさ、良くも悪くも「商品」だから、生の感情をそのままぶつけてくる様な作品というのは極めて稀で。でも、同人というのは趣味で作られたものを、そのまた趣味でこっちが会場に足運んでスペースに行って手に入れているわけで、どうしたって濃度が密度が、自ずと違ってくる。
まぁ趣味を伊達と酔狂と読み替えてもらっても良いけどな。


サークルの数だけ、作られた本の数だけ、恐らくそれはあるんだろうけど、残念ながら全部は受け止めきれない。中にはスポンジのごとく悉く吸収するような、とてつもない人もいるのかもしれないけれど、自分の限度というものをやっぱり感じてしまうのですよ。



どう応えていったら、良いのか、ちょっと立ち止まって考えたくなったのでした。続く



だったら、自分が受け止めきれるところまで、戦線を縮小するべきじゃないのか。とそういうことなのだろうか。