『七姫物語』第三章 姫影交差

高野和七姫物語』読了。久方ぶりの第3巻。この人がメインで執筆しているのはこのシリーズだけの筈なので、デビュー以来3冊のみといういうのは寡作な作家という印象を受けてしまいます。ちょっと気になってラノベ板に専用スレがあるかどうか見に行ったら、3巻マダー?とかそんな感じのタイトルだったわけで、皆思うところは一緒だな、と苦笑した次第です。
私はいわゆるラノベを読むにようになって日が浅いので、うかつには言えないところがあるのですが、萌えがラノベ界?をも席巻しつつあるというこのご時世にあって、高野和さんが占めるポジションはなかなか貴重なものだな、と思うわけです。プロットだけ見れば、世界を七分割し、七人の姫を配置する。これだけ聞くと妹が12人いたりする某兄ちゃまやら、おそらくは染色体異常を誘発するような原発やら核廃棄物処理センターの近くに立地しているのですね?という社会的アイロニーに満ちた、双子が何人もいる奇天烈な世界とか5人のママ先生と以下略(分かりやすい例というものは往々にして偏るものですね)な話とかと一見酷似していたりいなかったりですが、その手のものが発する胡散臭さは驚くほど少なく感じる点です。
ふと冷静になって考えてみれば、政治的代表として、御輿として姫(女性)を担ぐというのは政治学的に、歴史学的に見てどうなのか、というような疑問はないではないです。作者経歴とかインタビューとか知らないので、そういうところまで執筆にあたり考慮に入れたのかどうかは分かりませんが、努めて抑えた筆致で書く人のようなので、そういった配慮がなされているのかもしれません。国家の正当性を担保する手段というのは、人類がいわゆる文明を誕生させ育んできた何千年かの過程において色々と試みられてきましたが、女性が頭をはるというようなケースは概ね原始的アミニズムの影響を色濃く残すシャーマン、巫女などに代表されるような宗教的動機に端を発するか、血統によって、いわゆる万世一系の中でたまたま後継者に男子が見当たらず女帝が皇位につくといったようなケース、それとこれはあまりないように思えますが、傑出していた人物がたまたま女性だったというような副次的な産物に過ぎないというようなケースです。
翻って『七姫物語』世界、作品の言葉を借りれば「東和七姫」世界においてはどうだろうかと言いますと、どうやらシンセンが王都、王城というような表記がされていることから明らかにかつて、そして今も高貴な血筋が存続していてそれの血脈に繋がることが七姫選出の一大要素的側面が見て取れるように思うのです。このへんは久しぶりに3巻を読んで、1、2巻を読んだのは(残念ながら)だいぶ前なので、思いつきで書いているだけので、1巻を改めて再読すれば、世界観について(というか世界のお約束)を作者自身がキャラクターの口を借りて説明していた箇所があったような気がしますので、大いに再考の余地があるというか、単純に思い違いをしている可能性も捨て切れませんので割り比いて考える必要があります。
こう考えていくうちに「東和七姫」世界と親和性が高いのは、もっと噛み砕いて言えば置き換えてイメージしやすい、連想しやすい時代は何かと考えて、即座に浮かんだのがいわゆる戦国時代、合従連衡の故事の由来となったあの時代、そして項羽と劉邦に代表されるような英雄の時代、あるいはそれより大分下って劉邦によって開府され、中国の国の在りようをほぼ固めた漢がその衰えを隠せなくなっていた三国志の時代と、いわゆる群雄割拠というような政治的状況の近似性がいやがうえにも連想されてきませんかって、局地的カルト的人気を誇る鴨はうすファンにしか分からない言い回しを引用すると「またか・・・また私だけか・・・」であり「ほらっ」であって「わけ分かんないよ、にゃんこ先生!」なわけであります(要するに「どうせ同志はいませんよねブツブツ」ということの婉曲的修辞)。あ、それと中国ばっかりもあれなんでルネサンス期のイタリアの、かのマキャベリが『君子論』を著す動機となったあの時代も、当てはまるかもしれません。

唐突ですが「東和七姫」は、言葉がキレイですね、作者はこうした韻ですとか言葉にはかなり気を使っているものとも窺われます。まぁ卑しくも作家、売文家であるからには必須なセンスです。逆に言えば、いかなるものにせよ、言葉に対する拘り、そしてそれは自ずから作家ごとに異なるであろう、を無くしてしまったならば、大人しく作家を廃業する他ない、とさえ言えるのではないでしょうか。

下敷きになったといいますか、似たような異世界構築、都市国家分立、お姫さまの三大噺とくれば、まずは、かの巨匠、小野不由美の『十二国記』、御大、田中芳樹の『七都市物語』、そして 『銀河英雄伝説』とくるわけです(そうか?)。
それにしても、「7」というのは随分とモテモテですね。犀川先生に言わせれば「7」は孤独な数字でありまして、『すべてがFになる』でも是非読んで下さい。それとも浮遊工作室だったかな。それはともかく、「7」です。まず気がつくのは素数だということでしょうか。ゆめゆめ「ラッキーセブン」なんて口になさらぬよう(笑)。教養を疑われますぞ、と冗談はさておいて、単に素数であるだけなら、そこまで特異な数ではない筈ですし。数秘学、なかんずく占星術やら易経の類なんかでは特別の意味を与えられているっぽいですね、全くの当て推量ですが。