あるねこの一生

いつのまにやら、ねこねこソフトからお返しCDが届いていました。『猫雀』『ラムネ』『サナナラ』『120円の夏』(コンシューマ)と最近ねこから遠ざかっているわたくしではあります。HPでの面白さがそのままゲームに反映されない。いや、HPでの面白さとゲーム(紙芝居)に求める面白さはまた別種のものだとは思いますが、空回りを感じてしまうのです。120円などは、そういうねこ独特の試みの中から生まれただけに、結構期待するものはあったのですが、一時の話題性こそあったものの、取り立てて良い評価も聞きませんし、かと言ってダメという話も聞きません。

良くも悪くも『みずいろ』に囚われすぎている、というのは誰しもが感じるところだと思います。わたくしは『みずいろ』から入った人間ではないですが、一般ユーザーが望むのは萌えゲーであるという仮定は、かなりの程度の信憑性があるので、そういったものを作ろうというのは分かるのですが、それにしてはロリに走ってみたり、早坂日和に代表されるような「ぽんこつ」キャラぐらいしか売りがなかったり、とユーザーにとっては、HPやらイベント関係の楽しさは別としてもはや魅力がなくなったゲームしか出さない、買うゲームがないソフトハウスに成り下がりつつあるように感じるのです。

わたしはねこねこソフトのゲームをすべてプレイしたわけではなくて、もちろん最初期からの、それこそ『WHITE〜せつなさのカケラ〜』からのような、古参ファンでもないですが、一番好きなソフトはと聞かれれば迷わず『銀色完全版』と答えます。ファンの悪いところは、クリエイターに向かって、「○○は面白かったです」と伝えるところまでは良いですし、クリエイターさまも(内心はどうあれ)ただ黙って微笑んで聞き流して頂ければ良いのですが、ファンはその科白のあとに必ず続けてこう言うのです、「また、○○みたいな作品を作って下さい」と。クリエイターを名乗る者はこの科白に惑わされてはなりません。森博嗣の二番煎じですが、いやしくも創作を生業とするものは、この罠に陥ってはいけません。

そこは既に通った道なのです。(その時点ではありますが)あるテーマに対するクリエイターなりの回答がその作品なのです。その路線を突き詰めるというのならそれも良いでしょう。現にKEYは、そういった作品ばかり作っていますし。実際にそれでユーザの支持も得ているようです(何よりも売り上げ数字がそれを物語っています)。しかしそれは、より高みに、より高い完成度を目指して、という結果でありますし、KEYはKEYなりに(とは言ってもクリエイターの名前で言うならば麻枝准樋上いたるに代表されます)、新しいテーマを掲げていると思うのです。いまさら私ごときが何をか言わんやですが、一般に流布している説によれば「Kanon」は泣きの極北の一つであるし、「AIR」は恋愛ゲームであることすら放棄し「家族」という新しいテーマを持ち込んだ、あるいは持ち込もうとした、と解されています。そして満を辞して登場した「CLANNADクラナド)」に至っては、ついに18禁ゲーという制約すらも邪魔になり、それを放棄してしまいました。

話がそれました。
わたしも森博嗣萩尾望都と対談したときの中の一節に「先生も何回も『トーマの心臓』のような作品をまた描いて下さいと言われたでしょう」というセリフを見つけたときに大いに反省したものです。ファンは移ろいやすいものですから、基本的にミーハーですから(このフレーズは知識ぶっていて多少鼻につきますね。まるで無知蒙昧なファンを正しく導いていくんだという選民思想が見え隠れしませんか。そして同時にファンは正しい作品を選ばない、評価しない、だから評論家が『正しく』価値付けをしなくてはいけないんだ、という正当化の論理がそこにはあります)、クリエイターはこうした意見に耳を傾けてはなりません。「また○○みたいな作品をつくって下さい」。なるほどそれは誘惑に満ちた甘言です。アンケートを貰うのもよい、HPでBBSの書き込みなるものを見るのも良い、ファンレターなど貰えれば励みにもなるでしょう、しかしそれを一から十まで真に受けてはならないのです。クリエイターはファンの求めるものを供給するのが使命だ、というのならそれも良いかもしれません。しかしそれでは、単に「消費者」に一定の文法に基づいて、フォーマット通りに生産された製品を供給するだけに終わってしまうような気がしてならないのです。決してそういうスタンスを捉えて高い、低いというわけではありませんし、エンターテイナーに徹し、お客さんを喜ばすことのみに徹しているわけですから、見上げたプロ根性と言うべきなのかもしれません。しかし、少なくとも私はそれだけでは一抹の寂しさを感じてしまいます。

私はクリエイターにはもっと己を貫いて欲しいのです。自らの信念、自らの正義を余すところなく語って欲しいのです。そしてそこにこそ、価値を見出したいと考えているのです。ファンに迎合しないのが偉いクリエイターだ、という考え方もあるやもしれませんが、あまりに独りよがり、あまりにクリエイターのオナニーショーでは受け手もひいてしまうので、それを受け止められる絶対数は限られてしまいます。その匙加減がクリエイターの腕の見せどころでしょう。ただ単に、萌え萌えと言うだけならば誰にも出来ます。ただカネを出してもらう以上、それだけではダメなのもまた確かです。難しいですね。死生の道はままならぬものです。しかし裏を返せば、結局は極端に走るな、常に中庸でいけ、王道を行くことこそが最も早い道であるという古くからの箴言通りと言うことも出来ます。

ねこねこソフトは、万人に支持を得られるようなソフトハウスではないでしょう。それは私もそう思います。しかし、ねこねこソフトなりの正義や思い入れを行動によって示してきましたし、それには私もそれなりの敬意を払っています。今回のお返しCDには、これで最後になるかもしれない、という風なことを示唆する言が書いてありました。いまどき、会費も取らないで「お返しCD」を送ってくる彼らが苦しいと言うのだから、目立ったヒットにも恵まれていないここ一、二年のことを考えれば本当に苦しいのでしょう。であればこそ、本作にかける意気込みは相当のものであるに違いないし、そうであって欲しいのです。

まだまだ、ねこねこソフトを見捨ていない人も大勢いるはずです。そうした人たちを失望させることのない、あるいは「ねこはもうダメだ」としたり顔で言っている連中の横顔を張り倒して、目を覚まさせるに足る渾身の一作を私は期待しています。

あと、リーフからもなんか来てましたけどそれはまた別のお話。