このところ買った本とか

ここ最近仕事が充実し過ぎていて?やり甲斐はあるのですが、忙しくてままならない感じです。100%稼動はしていないものの、あんまり手の内みせるのもどうかなぁと思うのは小賢しいでしょうか。だって、まだまだ出来ると思われるのは光栄ですが、時にはキャパオーバーな仕事をこなすのは全然かまわないものの、それが普通になってしまうとワーカホリックではないので、えらい迷惑なので、ついついセーブしがちになってしまうのです。だって機械だって、稼働率100%なんてあり得ないんだから、騙し騙し使っていくしかないと思うのですが、どんなものでしょ。

ヤバイぐらいに可愛え。さすがプロの写真家さん。って言うかいくら田舎の一軒家とはいえ猫17匹ってそりゃあんた。

全国津々浦々の猫たち。上のもそうだけど、15分くらいでパラパラ鑑賞できる。気に入った写真があると、ぼぉっと眺めていると傍目から見るとヤバイ人に見えるに違いない。

この人の作品を読むのは初めて。地雷処理班から地雷撤去報告(笑)があったので購入。オフィシャルサイトで表紙イラストを眺めていて思ったのだが、高野音彦高橋しんとかはともかくみさくらなんこつの名前を見て驚愕。もう「ら、らめぇっ」って言うかそういう作品にしか見えない(笑)。そういえば、怪作『未来にキスを』がStanderard Editionでとして再発売するので、otherwise解散追悼記念で買おうかな。決して元長信者というわけでないけれど、業界の中では異端児というか尖がった作品を発表していた人たちだったからなぁ…。って全然、『荒野の恋』の感想じゃないじゃん!
め、眼鏡っ子。いじょ。ダメ?

  • 『海を見る人』 小林泰三著 ハヤカワ文庫JA

ハヤカワが珍しくまとも?なイラスト(鶴田謙二氏)で本出してるよ!ということで購入(ウソ)。とりあえず読んだのは『独裁者の掟』と表題作『海を見る人』の2作。前者はオチに全然気付かず。まんまとミスリードさせられしまった。後者はデジャブ。しかし萌えません(そういう作品じゃないってば)。カムロミという名前は、どことなく異世界を感じさせる語感があるような感じがする。うたわれるものっぽい感じ?PS2移植らしいんで買いそうな予感…。つーか、「Routes ポータブル」は意外、「こみっくパーティー ポータブル」 はガチで折込済み、東鳩2移植は、初めからエロ付きで出せやボケェであり(どうせこみパPSEみたいにエロ抜きであり、「委員ちょすきすきー」のオフィシャル版以上の意味があるのだろうか(いやない、あるとすれば追加グラフィックだけ)はともかくとして、「痕」だけはマジ勘弁して欲しい。これ以上思い出を(以下略)。おまえら「傷痕リニューアル」で何も学(以下略)、あんな千鶴さんもう耐えら(以下略)、であり、あやまれ!!水無月徹高橋龍也にあやまれ!!(AA略)であり、ヽ(`Д´)ノ ウワワーン ヤッテラレネー、であります。

読了済だけど、もったいなくて。語りたい作品です。しばらく言の葉を熟成中。ス=ウスラム問題がこんなにもハナシの縦糸になるとは…。少子化日本も見習わなくては?いかんいかん、これは茶化すような話ではない。



おとなり日記からこんにちわ>>爆笑


□あのAAをもう一度>>元ネタ

「イベント(同人誌即売会)は誰のもの?」

「綿流し祭本祭」開催方法について】

ふと巡回していたらid:Motherlandさんのhttp://d.hatena.ne.jp/Motherland/20050625#p1で、表題のイベントについての雑感が書かれていて。それにいつのまにトラックバックがついていましたので、非常に興味深く拝見させて頂きました。どうして「興味深い」かと言いますと、すなわち「イベント(同人誌即売会)は誰のもの?」という問いに対する葛藤、「立場」によって生じる意見の相違のように感じられたからです。

わたしは同人誌即売会においては、これまで常に一般参加者として、参加してきました。あの悪名高い?ハトコミにも参加しました。鴨はうすさんも参加したりして(結果として)大混乱した、伺かイベントの先駆けとも言える「えんいー」にも行きました。ですから、どうしても「いち参加者」としての視点で、ものを語ってしまうことをここにお断りすることとします。

Motherlandさんの記述は、言うまでもなく買い専としての立場を代弁したものです。従来買い専は、同人界のピラミッド構造の中では物言わぬサイレントマジョリティでした*1。これに対して、http://d.hatena.ne.jp/HOY/20050625に書かれたHOYさんの記述は、経歴を私は存じないものの、イベントを開催してきた立場からの発言というふうに対比して捉えることができるように思います。

どちらの主張も一理あり聞くべきところはあるもの、結局のところ行く行かないは本人の自由であり選択に委ねられているのだから、好きにすればよい、というスタンスに収斂されてくるという考えについては私も同意見ですが、それでは歩み寄りも何もあったものではないですし、サークルさん/イベント主催者さん(及びそれに協力するスタッフさん)、そして、多数を占める一般参加者は、協力こそすれ互いに合い争うものではないと考えるからです。それぞれ立場というものがありますので、この3者の利益が完全に一致することはたいへん難しいことと思いますし、

普通に開催して主催サイドも参加者(サークル&一般)共に満足というイベントは、そうは開催できるものではありません。

という発言は非常に重みのある発言でして、尊重されるべき発言であると思います。であればこそ、皆が満足できるイベントというのを追及していく努力をおさおさ怠りなく続けていく、これこそがこの3者に課せられた責務*2でしょう。

そもそも、どうしてこういう争い(というより軋轢/立ち場の違い)が生じるのでしょうか。サークルさんもイベント主催者さん(及びそれに協力するスタッフさん)も一般参加者も、等価にこんかいのケースであれば「ひぐらしのなく頃に」という秀逸なビジュアルノベルに対して並々ならぬ感情を持ち合わせている筈です。常識的に考えて、一般に二次創作するとか、イベントを主催するという行為は、本(同人誌)を買うという行為に比べで負荷が高い、ないしはリスクを取る行為ですから、なおのこと、その想いは強いと考えて差し支えないように思います。
これが例えばひぐらしはおろか、マンガやアニメには一切興味ねーよっていうドキュソから見ればどっちでもいいよ程度(っていうかそもそもそういうイベントがあること自体、認識外)でしょうしオタ同士で何か言い合いしてるらしいぐらいのものでしょう。

要するに、好きだから、同族だから、尚のこと許せないのです。書いていて自分でもはっきりとそれを認識出来ました。

言うなれば内ゲバとでも言いましょうか、例えば、えらい昔の話かつ個人的な話で恐縮ですが、前述のえんいー1で、個人的に大ファンであるところの、つくりものじさんがコピー誌を出すということを聞き、のこのこ出掛けては行ったのですが、百戦錬磨の買い専たちの前に、あえなく買えずに涙を飲んだことがありました。うろ覚えで間違っているかもしれないのですが、色々物申す人たちがいたのかは、はてさて分かりませんが、鴨はうすのHPに掲載され、しばらくのちにオフセに再録されたように記憶していますが、当時の自分もさすがに始発だかそこらで言って目当てのものが買えなくて、カタログすら無く(完売したのか適当な配置図のコピーを数百円で買わされた記憶あり)、入れ替え制で、とタイトなイベントでしたが、このときばかりは「ふざけんな!」と思ったものですが誰を恨んだらいいのか、見当もつかないという感じでした。今の自分なら予想以上にブレイクした偽春菜(任意/伺か)というジャンル効果SSSなイベントに行くのだから、最後の最後は「自己責任」*3しかない、と考えることもできたのでしょうが、ただただ「買えなかった」という一点にのみ拘っていたように思うのです。あのときも確かに、皆、任意のことが好きでした。翼システムは目に見える悪者でした*4

私なりの回答をここで申しましょう。ひぐらしのイベントは、ひぐらしが好きな人の手にあるべきです。何を馬鹿な、と言われるかもしれませんが、この当たり前のことがいつもいつも実践されるているとは限りません。私が今回のイベントに行くことはありませんが、虎の穴やメッセサンオーメロンブックスが幾ら同人に理解がある企業といっても、それは同人で金儲けをしたいからです。「利潤を生まない企業に存在価値は無い」。これは自分が勤務する会社の社長の言葉*5ですが、虎だろうがメッセだろうがメロンであろうが変わりはありません。どういう経緯で、このような開催方法(3会場分散)、カタログ頒布(販売)が決まったのかはインサイダーではないので、寡聞にして知りませんが、少なくとも開催日の数日前に詳細をHPで告知して、不意打ち気味にカタログを「販売」したのは、どう贔屓目に見ても誉められたものではないでしょう。そんなことはとうの昔に決まっていたことでしょうし「イヤ、(詳細が)決まったのはホントに数日前なんだよ」と言ったところで、世間はそうは見てくれません。

前述の自己責任/自由/選択は、正しい情報提供の元に、独立した個人が個々に判断を下すものです。客観的に見て、どうなのか。自分の良心に問い掛けてみてどうなのか。与えられた情報をもとに推測し経験から推し量ってみてどうなのか。タイトなイベントになりそうなのか、そうでないのかを判断する。そしてリスクを取る。行って本を入手できないリスクを取るのか、そんなイベントは初めからなかったと覚悟を決めて忘れるのか。


決めるのは、他でもない、あなたです。

*1:検証の余地はありますが

*2:そこまで肩肘張らなくても、とは思いますが理念としてこうあるべきと考えます

*3:「自由」と並んでこのコトバほど、都合よく用いられ、誤用され、しかし、結局のところそれを引き受けることなしに、すべては始まらない

*4:もちろん、それを面白がってオチしていた人も当然いたわけですが、すべてひっくるめて

*5:うろ覚え。たぶん、こんな趣旨だったと思う

イベント(同人誌即売会)を開催する目的とは?

追記:いつのまにやら、事実確認中…に後退していますが、それはともかくとして、そんなに非難を受けることなのかが激しく疑問です。という結びには、賛同できません。なぜならば、各書店での販売に手違いなどという瑣末な問題があったのかどうなのか、私は事実を知りませんが、それ以前の話として、こういう結末を迎えることは(関係者にとっては)織り込み済みであったわけで、知らぬは一般参加者ばかりであったからです。いみじくもイベントを主催する本来の目的とは?という記述がありますが、それならば明確に応えて頂きたい。例えば、コミケは繰り返し繰り返し明確に「表現の場を提供する」というスタンスを打ち出していると思いますが、本イベントは、そして本イベントの主催者サイドは、何を以ってレゾンデートルとするのか。もちろん、それはイベント、主催の個性によって、多様性に富んだものとなるでしょうから、何を理念とするかは、まったくの自由です。

ドラッカー博士という経営学者/コンサルタントがいらっしゃって、しっかりと著作を読み通したことはないものの、この人の言葉にはなるほどと思うことも多く、いつも感心させられるのですが、この中ににこんな言葉があります。


「傲るな。企業は、「社会」に存在させていただいているものだ」


なんか目から鱗が落ちました。最近、企業の「CSR」などがとみに叫ばれていて、自分が勤務する会社でもそういう運動と言いますか、再認識させるべく再研修などが行われているようですが、雪印三菱地所の土壌汚染隠し【あわや宅建免許取り消し寸前】、森ビルの回転ドア事故の一件、そして、三菱自動車のクレーム(リコール)隠し、三井物産の排ガス浄化装置データ捏造事件etc…と事業者の存続すら危ぶまれるぐらいの大事件が相次いで起こる中、ドラッカー博士が言うような「謙虚さ」を忘れてしまっていたのではないか。そういう風に感じます。

横道にそれるのはこれくらいにして、そういう謙虚さをサークルさんもイベント主催者さん(及びそれに協力するスタッフさん)も一般参加者も決して忘れてはいけない、と老婆心ながら警鐘を鳴らしたいのです。反社会的な団体、個人が永続できる試しはありません。広く同人(界)の末永い永続を願うなら、――そしてそれは皆同じの筈――、自明の理ではありませんか。特定のプレーヤーのみに負担が掛かるようなシステムは「共生(共存共栄)」ではなく、「依存」とでも言うべきものでしょう。

個人に残された最後の自由は、ただ自殺することのみ、と良く言われます。本来の理念から言えば3者の関係は対等であることになっていますが、真実を申せば、同人ヒエラルキーの中で末端に位置する一般参加者(買い専)にとって、残された最後の自由は、行かないこと・買わないことであります。行かないということ決断するのもいち買い専にとっては勇気ある、そして苦渋の末の決断、最後の矜持なのです。どうかそれについて少しは考え、お察し下さい。我々の誰一人として、ここから逃げることは出来ないのだし、この場にいることを選択したのだから。

ここまで読んで頂いた方、長文にお付き合い頂いてありがとうございました。青臭いとは自分でも思いますし、拙いところ、論旨が明確でなく分かりにくいところもあろうかと思いますが、自分の現在の偽わざる心境を綴ったものですので、こういう考えもあるのだ、ということで受け止めて頂ければ幸いです。