国民皆保険制度は持続不可能である

タイトルの通りなわけですが、消費増税を持ち出しただけで袋叩きになる国情ですから、当然、上記のようなアジェンダをぶち上げた政治集団は皆無です。しかしながら、日本の経済成長率が一向に上向かない理由、少子化、年金財政の逼迫等々、突き詰めれば、全てここに行き着くように思われます。ピラミッド型の人口構成をベースに営々と構築されてきた諸制度は、高齢化社会、そして高齢社会において維持し続けることは不可能です。まずはここを認めて、支出を削る、身の丈にあったものに再構築しなければならないのに、小手先の弥縫策に終始するから、国民負担率は上がる一方、給付は削られるという惨状。

まあ、2024~2025年ごろに行われると目される衆議院選挙において、今のシルバー民主主義、若年層の政治的無関心から国民皆保険制度廃止を公約にした政党が出たところで、現状維持を望む国民が大半でしょうから、大きな支持を得られるとは到底思えませんし、争点にすらならないでしょう。

国民皆保険制度が廃止ないし、縮小されるとしたら、それに要する政治的コストは、明治維新、敗戦後の日本国憲法の制定くらいに匹敵するようなインパクトで、残念ながら平時においてそれを通せる可能性は殆どないと言っていいでしょう。社会保険料の増大それ自身の重みでそれが維持できなくなったときに、初めてそれは達成される他ないと思っています。

誠に残念ながら、危機に陥って、日本の財政が立ち行かなくなったとき、(日本)社会が食うや食わずの状態になって初めて、医療へのフリーアクセスは制限されるでしょう。オイルショック以来のインフレ局面、それもだいぶマイルドな2~3%程度のCPIですら、いよいよ覆い隠されてきた矛盾が噴出しているように思えます。今はなんとかギリギリ踏みとどまっているように見えますが、これ以上の円安、これ以上の原油や食糧の高騰が続くようなら、相当マズい状況に追い込まれつつあるのは間違いありません。何かのきっかけ、天災・戦争がひとたび起これば、たちまち立ち行かなくなる危うさ、余裕のなさを感じます。

今のところ、制限なく電気も使えるし、商店には物が溢れています。コロナのときに、マスクが品薄になったときのように、東日本大震災のときに計画停電が実施されたときのように、いにしえの米騒動のようなこと、取り付け騒ぎのようなことが近い将来に起こるような気がしてならないのです。

論理が飛躍するようですが、ある日突然、日本国民全員が神の啓示を受けたり、危機意識に目覚めて消費税40%にするとか、そういうことがない限り、ソフトランディングは望み薄だろうということです。Xデーまでだらだらと現状維持が続いて、結局はハードランディングになる、昔、NHKか何かの番組で食糧配給制になった日本みたいなドラマかなにかを見ましたが、ああいう風になって初めて、言葉は悪いですが、弱者切り捨てが達成されるんだろうと思います。

2030年、2040年、2050年になったときに、必ずしも自分が生きている保証はありませんが、やっぱり、となっているのか、予想は外れて笑い話になっているのか。銀の弾丸、魔法の杖。備えあれば憂いなし。悲観的なことを書き連ねましたが、コントロール不可能なことを心配して仕方ないので、そういうリスクがあると所与の条件として受けとめて、自分のできる範囲で、なんとか対策を講じていきたいと思っておりますし、備えていかなければなりません。天は自ら助くる者を助く。お上をあてにするのはもうやめましょう。