為替介入リターンズ!

日本時間の週末の金曜日の夜、152円を目前にして2回目の為替介入が発動されました。節目の150円でやらずに、油断させといてこの仕打ち。海外市場がオープンの時間帯もやるよという意思表示なのでしょうか。詳報はこれからでしょうが、一夜明けて概観するに1回目よりも規模は大きかったんじゃないでしょうか。いやはや途轍もない夜でした。為替は乱高下し、ダウは終わってみれば700ドル以上の上昇。このボラテリティの高さたるや、ね。

 

日銀は相変わらず、臨時オペに躍起で0.25%死守とかやっている一方で、「緊張感を持って注視」「投機的な動きは容認しない」「断固たる措置」とか勇ましいフレーズで、いきがったところで、ファンダメンタルズや日米金利差を反映したドル高、円安なんだから、流れを止めることは出来ないんだよなぁ。貴重な外貨・国富をどぶに捨てる行為、どん判金ドブであります。ちょっと脱線しますが、全国旅行支援とかガソリン代補助とか電気料金云々とかもこれと同じで、何千億だか何兆円だか知りませんが、赤字国債刷ってバラまくのをまず止めろ、と。イギリスのトラス首相が遂に辞意を表明しましたが、全く笑えません。イギリスの場合は、市場が警告を発し、ポンド安、長期金利の急騰という形で野放図な財政の持続可能性を損ねる動きに「待った」がかかった形ですが、日本の場合はご存じの通り日銀は頑なに大規模緩和維持で無理やりYCC(イールド・カーブ・コントロール)一辺倒ですから、その警告も発せられることはありません。唯一、思い通りにならないのが変動相場制の為替であって、市場は素直に警告を発しているのであります。水は低きに流れ、お金は金利の高い方に動く。至極当たり前の動きです。ひとたび数円程度押し下げたところで、マグマは溜まる一方だと思います。アメリカの長期金利の打ち止めの見通しが見えるか、原油が大幅に下がるかでもしない限り、ドル高円安傾向は変わらないと思います。

 

と言うわけで、久しぶりに少しだけドルを買いました。ドイツ人がマルクに愛着があったように、日本人もなんやかや言って、JPYに愛着がありますから、ドルを買う人というのは、まだまだ限られると思います。ミセスワタナベかアメ株投資家くらいのものでしたが、日本の一般層が危機感を感じ、個人金融資産の全部とは言わないものの、その一部だけでも、円貨から外貨に替えただけでとてつもないインパクトになります。ちなみに2,000兆のうち現預金は1,000兆円くらいだそうです。いずれは1ドル360円くらいまで戻るのではないでしょうか。1970年に逆戻りで輸入品は気軽に買えなくなり、舶来品として珍重され、貧乏人は麦を食え、外貨は再び割当制、食糧・ガソリンは政府統制品となりヤミ価格が横行。そういえば、戦後の混乱期に「闇米を買わずに餓死」した裁判官というのがニュースになりましたが、そこまでいくかどうかは天のみぞ知るところでありますが、後生大事に円を抱いて溺死するのは真っ平御免であります。1ドル100~200円くらいのレンジでおさまれば御の字かと思います。折しも2024年の新札発行を機に預金封鎖とか財産税とか、勘繰り出したらキリがありませんが、いざとなれば海外に逃げられる超富裕層は別にして、マス層としては財産の一部を外貨建てで持つ、あるいは不動産や金の現物に代えておくぐらいでしょうか。ロシアの部分動員令なんかを見ていても、金持ちの子弟はさっさと国外逃亡で逃散し、割を食うのは誰かという話であります。ひどい話ですが、カタストロフィが起きて、ハイパーインフレが起きればあり得ない世界線でもありません。しかし、皮肉なものですね。日本のデフレは岩盤のように微動だにしなかったのに、こんな形で消費者物価指数の2%目標達成するなんて。ブラックジャックではありませんが「人間が物価を自由にコントロール」できるだなんて、おこがましいとは思わんかね、ですよ。なぜ余計なことをしたがるのか。結局2%目標を達成したところで、賃金は上がらず、為替は円安、残されたのは赤字国債の山、持続不可能なほどに傷んだ財政、バラマキ依存体質の経済、歪な人口構造。メイショウドトウでなくても「救いはないんですか?」と言いたくなります。団塊の世代が天寿を全うして、この世から消え去ったとしても、それ以上のスピードで生産年齢人口の減少するので、むしろ社会保障負担の増加は、現在の給付水準を維持しようとするなら、高齢化率が低下するまで下がるどころか上昇する可能性が極めて高い。常温核融合が実現して、エネルギー価格が劇的に下がるとか、何かしらのブレイクスルーでも起きない限り、だらだらと下り坂が続いていく。長期低落傾向に抗って、自分だけは助かるために、外貨を買う。市場の暴力で、日本の社会経済構造が一変するのが先か、上がりを迎えるのが先か、はたまた船は沈没してしまうのか。いずれにしても、答え合わせは、2050年。コロナ前の世界の記憶が段々と薄れ、糞ったれなニューノーマルが常態化し、世界は加速度的に変化していく。残り時間はあとわずか。少しずつでも前進し、新世界に到達する日まで、世界が続いていますように。

 

 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)の中位推計では、わが国の人口は、2006(平成18)年にピークを迎えた後、減少に転じ、2020(平成32)年には12,411万人、2050(平成62)年には10,059万人と、現在(2004(平成16)年)よりも約2,700万人減少する8
 この将来人口推計によれば、出生数は2010年代前半に100万人を割り込み、2020年代には80万人台になる。一方、死亡数は、今後とも増加し、2010年代には130万人台から140万人台へ、2020年代には150万人台から160万人台になる。2006年から、死亡数が出生数を上回る自然減が始まり、2020年代には、年間の自然減が70万人台にもなる。これは、毎年、現在の鳥取県または島根県1県分の人口が減少していくことを意味している。少子化が進行する一方で、高齢化率が高まり、2050年には現在の2倍近い約36%にも達する。生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)も減少し、2050年には現在(2004年)よりも約3千万人も減少する。総人口に占める生産年齢人口の割合は、2000(平成12)年の68%から2050年には約54%に縮小する。
 このように、2050年の総人口は、日本が初めて1億人を超えた1967(昭和42)年当時の水準に戻ることが予測されている。1億人というと、2000年時点で世界10位前後の人口規模であり、決して少なくはないというイメージがあるが、同じ1億人でも、1967年当時は、日本人の中位数年齢(人口を年齢順に並べて数え、ちょうど真ん中に当たる年齢)は30歳、高齢化率は6%台と「若い国」であった。それに対して、2050年には、中位数年齢は53歳、高齢化率は約36%と、世界的にみても大変「年老いた国」へと変貌してしまう。2000年には高齢者1人あたり生産年齢人口が4であったのが、2050年には高齢者1人あたり生産年齢人口は1.5人となり、人口構成が大きく変わってしまうのである。