長文注意!!

くだらない雑事(セレモニ)に参加しなくてはならず、無駄な時間を過ごす。お陰で自分の仕事にしわ寄せが来て、終わらない。うっちゃって帰りたいのはやまやまだけど、さりとてそうもいかないので、徹夜で仕事です。これあることを予期して、関係各所から資料を取り寄せてあったので、完全に個人作業、すなわち一人旅用の仕事だけ残しておいたのです。自分らの仕事は、相手あっての仕事が多いので、昼間のコアタイムはどうしてもそういう仕事を優先的にこなしていかないければならないというか、処理せざる得ない。けれどもすると、どうしたってこなさなきゃいけない事務仕事が減るわけでもなし、それはそれで当然に要求されるので辛いです。前者は言うなれば余分な仕事、遠坂凛に言わせれば「心の贅沢」、すなわち、それまでもこなせれば、それはそれで素晴らしいことではあるだろうけど、それを優先するあまりに本筋な仕事に差し障ってくるようでは本末転倒ですよ、という。かといって、放置すればクレームとなってきてまた自分のところに帰ってくる、いったいどうしろ、という状況、まさにアンビバレンツです。

以下愚痴なので、というか既にもう愚痴ですが、部外者にはわけわからん話なので読んでも面白くもないし、気分を害するだけだと思うので、スルーするのが吉だと思うのですが、棟数ではなく戸数だと思うのですよ、結局のところ。大きくなればなるほど、多ければ多いほど、どうしたって目が行き届かなくなるのは仕方ないとして、なんでベテランが楽なところをずっと固定でやって、うちらみたいなペーペーが「重い」物件で、ヒーヒー言わなきゃならんのか。まぁいろいろ理由はあるだろうし、会社の方針というのもあるだろうから、それについては、サラリーマンですから、やれといわれればやるしか選択肢は残されていないというか、嫌なら会社辞めろ、という世界です。だったら、そのことについて、会社はちゃんと考えてくれてんの?ということが言いたいわけです。

そりゃ戸数が半分なら、いいですわ、それだけトラブルが起きないんですから。トラブルを起こすのは、何と言っても人間です。小さいところであれば、長くやっているところであれば、問題が問題になる前に、現地の方で処理できてしまうというか個人的な信頼関係、人間関係の中でたいてい処理されてしまい、会社の耳にまで届きません。ほんとは、これも良くはないのですが、担当者の仕事レベルとして、これで十分。表面的には、世はなべてこともなし、日々是平穏、です。もうワンランク、レベルの高い仕事としては、フェイルセーフというか、そういう機構を準備しておく、そもそもそういうミスなりトラブルが起こりにくい環境を整えてあげる、これがわたしの考える理想です。すなわち、担当者の仕事としては、当然にされるべきことが当然にこなされているかどうか、それを日々チェックし、エラーがあれば対応し、しかるのちにエラーの原因を探り改善し、関係部署を巻き込み「次」起こらぬよう周知徹底を図る、これだけです。考え抜かれた末の「想定外」なら、一度目ならトラブル対応で汗をかくのもいいでしょう、しかし同じことが同じ原因で全く別の人間が起こすようでは、個人の責めに帰すにはやや気の毒な、構造的な原因が潜んでるに違いないのです。そして、私が頭にくるのは、そうした構造的な問題を放置したまま、現容通りの布陣で、通り一遍の通達を出して、事足れりとする、そういう姿勢です。だから、何度も何度も、同じような話が、同じようなシチュで起きるんです、そのたびに現場は相手の怒りを静め、謝罪し足を運ばざるを得ない。それにかけるエネルギー足るや、やったことのない人には想像もつかないほど、莫大なもので、当然ストレスも掛かります。根本的にクレーム産業なんだから仕方がない、たまたまその人が煩いだけ、ちょっと言って黙らせてこい、これが罷り通っているのは、やはりどこかおかしいのではないでしょうか。願わくば、そういう一朝事が起きてから泥縄的に対応するような後ろ向きな仕事ではなく、もっと前向きな、言うなれば、楽をするための仕掛けというか、そういうことに時間を使いたいと思うのです。

敵と戦う前に、無能なる味方に足を引っ張られるというのは、どんな組織、どんな時代においても、永遠のテーマでしょうが、萎えると言いますか、今まで積み上げてきたものがいとも簡単に崩れていく様を見るのは、辛いといいますか忍びないものがあります。

まさに信頼を得るには幾星霜、そして失うのは一瞬を地で行く世界です。担当としては、日々の運営、居住者対応etc、培ってきた人脈、こうした会社にとっての財産が、ほんのちょっとした請け負った些細な別件のミスやお客に対するアナウンスの遅れから台無しになってしまうのです。

お客様第一主義とかそういうのを企業理念に掲げているところは多いと思います。しかし、これはおかしな話で、ボランティアではないのですから、サービスを提供して対価を得る、その過程で、「結果として」、お客様が喜んでくれたらそれはそれで結構なことだ、というだけのことでしかありません。一般的な会社組織であり、最も有り触れた営利企業形態であるところの、株式会社は、すべからく利潤の最大化、さらなる収益の増大、これを目指して運営されているのです。何を生業とするか、それは各々の得意分野で勝負するのですから様々ですが、この一点について言えばどの企業も目指すものは同じです。

お客様の立場になって、というのは存外含蓄というか奥行きの広い言葉で、それが指し示すところを余すところなく表現するというのは、非常に難しいです。私なりにこの言葉を解釈すると、想像力を働かすということだと思います。何か自分ないし会社がアクションを起こす際に、どういう反応が予想されるか、それについて思いを致すということ、何だそんなことかと言われる向きもありますしょうが、これがどうして、なかなか出来ることではないようです。

つまるところ、自分が満足行く結果を得たいのならば、お客さんに知ってもらい、納得させ、出来得ることなら、協力してもらいたいわけです。そこまでもいかなくても、もっと消極的に捉えるのだとしても、正しく理解して頂き、クレームの出ることのないように物事を進めると言いましょうか、せめて妨害されない、そういう段取り(広報)を如何に組むかということが大切なのだと思うのです。結局のところ、会社としては、マスとして捉えたいわけです。これが個人という単位になって、クレームというかたち、あるいはそこまでいかなくたとしても要望というものを、相対(あいたい)して、受けたくはないわけです。であるならば、どうするか、それは自明のことです。知らされた人というのは、理不尽なことでなければ、少なくとも妨害はしません。一方、全体像が見えぬまま、五月雨式に、これこれしてほしい、あれこれしてほしい、これではただの阿呆です。

先を読んで仕事をするということは、どういうことかと申しますと端的に言えば、組織は個人一人で成り立っているわけでもなく、分業でそれぞれつかさつかさの仕事、すなわち職掌があるわけです。個人で完結するタイプの仕事であるならば、それは全くの自由というか適切に自己管理をしていれば良いでしょうし、もし間に合わなかったとしても、それは他ならぬ自分の責任に他ならないわけで、誰が悪いわけではありません。

しかし、自分に割り振られたところの業務を完遂させるには、他のセクションの成果物であるところの情報を待たなければならないとしたら、どうでしょうか。映画とかアニメとかそういうのをつくる業務に、進捗管理という仕事があって、なるほどなぁと思ったものですが、これと全く同じことが求められるわけです。すなわち、どういうことかといえば、よく使われる例えですが、鎖の強さは最も弱い輪の強さで決まるそうです。個々の鎖の輪の強さではなく、それらの平均でもなく、全体で最も弱い箇所の強さに依存せざるを得ないのです。

これを今の話に当て嵌めますと、故意か偶然か、当然に果たすべき仕事を為さない人間がいたとする、他のセクションがどんな素晴らしい仕事をしたとしても、あるいは粉骨砕身、身を粉にして働いたとしても、最終的な顧客の評価というのは、その手を抜いた御仁の働きぶりの水準でしか評価されないという、シビアな、しかし、当然の帰結が待っているわけです。こういうのに直面すると、今までの努力は何だったのいうか、非常にやるせない気持ちになります。もうほんとに、怒る気力も失せて、茫然自失、へたへたとへたり込むのが精一杯で、かといって残務処理というか敗戦処理と言ったらよいのか、戦争でいうところの撤退戦です、言うなれば殿(しんがり)、死んでこいの世界です。もちろん、仕事だから死ぬことはないのですが、客からありとあらゆる罵詈雑言を浴びる羽目になるのは、いつも一兵卒であるところの現場なんですわ。