自由への切符を求めて

定期的に訪れる会社辞めたくなる病がまた強くなってきました。辞めるのは簡単ですが、先の見通しがつかないと、衝動的に行動しても、ね。と言うわけで、日々、アンビバレントに苛まれております。理性では準備が整うまで力を蓄えよ、と分かってはいますが、糞案件に遭遇するたびに、意味のない労力をかけて、しょうもないことをやっていると、時々感情を抑えられなくなります。ひたすら忍の一字で耐える日々です。欲しいのは、不自由さからの解放です。一見自由に見えても、その実、行動は見えない鎖で縛られている。その全てとは言わないまで、お金のために人に頭を下げたり、意に沿わぬことを強要されたくはないものです。

 

やりたくないことをやらない人生というのは、どんなものなんでしょうか。誰に強要されたわけではないけど、最近のやりたくないことを嫌々やっているのは、水泳です。太く短く生きるのなら、暴飲暴食の果て、にも人生の選択としてはありなのでしょうが、けっこう簡単に死ねない世の中になっているので、もしそうなった場合、後悔するんだろうな、と思って、身体を動かすことを課しているわけですが、これが結構たいへんで、なぜならば自分との戦いなわけです。行くも行かないも、完全に自分の意思次第。人のせいには出来ない。今日は疲れているから、とか雨が降っているから、とか、そういうのを乗り越えて、文字通り意志の力を発揮して、プールに行く。文字にすると至極簡単なのですが、日々葛藤です。行かなければ行かなければで、今日はダメだったという敗北感に苛められる。まぁ逆に行ってノルマをこなしたときは、多少は気分も晴れるのですが。あと、もちろん、身体を動かしたことによる副次効果として、疲労と安眠が待っています。

 

そんなわけで、会社辞めたら週5で水泳行くかくらいしか思いつかないですね。それでも、強制されていくわけではなく、自分の意志で決定して達成することに意味があると信じて。2030年くらいまでには達成したいなぁ、、、。まぁそのとき幾つだよ、という話ですが、65歳まで働いて、70歳まで再雇用で、というも真っ平御免なんで、言い換えると約20年分(+老後の生活)くらいの時間の対価を準備としての我慢料と思って日々我慢、いつの日にか、笑ってバイバイしたいですね。